2017年12月26日火曜日

矢文にみる島原の乱━その③―

 次に、代表的な矢文を3通、読み下し文にて掲げる。

 ■矢文1城中より松倉陣に射られた矢文(日付け不明)
 城中より申し上げたき儀これ有るにおいて、聞(き)こし召(め)され候由(よし)候間、重ねて申し上げ候。この度(たび)、下々(しもじも)として嶋原天草両所の儀、御取り掛かり候につき、防ぎ申したる分に候。国郡(くにこおり)など望み申す儀、少しも御座なく候。宗門に御かまひ御座なく候へば、存分(ぞんぶん)御座なく候。籠城(ろうじょう)の儀も、頻(ひたぶ)りに御取り掛かり成られ候につき、此(こ)のごとくに御座候。右の仕合(しあ)わせ、きりしたんの作法に候。御不審(ごふしん)に思(おぼ)し召(め)さるべく候へども、宗旨(しゅうし)に敵をなす輩(やから)は身命(しんめい)をすてふせぎ候はで叶(かな)わず。あらたなる証拠(しょうこ)、度々(よりより)御座候につき、此(こ)のごとくに候。かよう(斯様)の人をぼんぷ(凡夫)として罷(まか)りなることに候や。兎(と)に角(かく)、我々御ふみつぶし候の後、御がてん成らるべく候哉。
 御陣中            城中より

矢文2「寛永15年1月13日(または15日)」付、城中より「御上使様御中/惣御陣中」宛て矢文
 今度(このたび)、下々(しもじも)として籠城(ろうじょう)に及び候。若(も)し国家をも望み、国守(こくしゅ)を背(そむ)き申す様に思(おぼ)し召(め)さるべく候歟(か)。聊(いささ)か其(そ)の儀にあらず候。きりしたんの宗旨(しゅうし)は前々より御存知(ごぞんぢ)のごとく、別宗(べつしゅう)に罷(まか)りなり候こと、成らぬ故(ゆえ)にて御座候。しかりといえども、天下様より数か年御法度(ごはっと)仰(おお)せ付(つ)けられ、度々(よりより)迷惑致し仕(つかま)り候。就中(なかんずく)、後生(ごしょう)の大事(だいじ)遁(のが)れ難く存(ぞん)ずる者は、宗旨(しゅうし)を易(か)えざるにより、いろいろ御糺明(きゅうめい)稠(しげ)しく、剰(あまつさ)え人間の作法にあらず。或(あ)るは恥辱(ちじょく)を現し、或(あ)るは窘迫(きんぱく)を極め、終(つい)に御来(ごらい)のため天帝(てんてい)に対し責め殺され候。其のほか、志(こころざし)御座候者も、色身(しきしん)を惜(お)しみ、呵責(かしゃく)を恐れ候故(ゆえ)、紅涙(こうるい)を押(お)さえながら数度(すうたび)、御意(ごい)に随(したが)い、宗門を改め候。然(しか)る処(ところ)、この度(たび)は不思議(ふしぎ)の天慮(てんりょ)計(はか)り難く、摠様(そうよう)此(こ)のごとく燃え立ち候。少(しょう)として国家の望みこれ無く、私の欲儀(よくぎ)御座なく候。前々のごとく罷(まか)り居(お)り候わば、右の御法度(ごはっと)に相替(あいか)わらず、種々様々の御糺明(きゅうめい)凌(しの)ぎがたくても、また執着(しゅうちゃく)の色身(しきしん)にて候へば、誤りて無量(むりょう)の天主(てんしゅ)に背き、今生(こんじょう)纔(わず)かの露命(ろめい)を惜(お)しみ、この度(たび)の大事(だいじ)、空(むな)しく罷(まか)り成るべき処(ところ)、悲嘆(ひたん)身に余り候故(ゆえ)、此(こ)のごとくの仕合(しあ)わせ、聊(いささ)かも邪路(じゃろ)にあらず候。然(しか)る処(ところ)、海上に唐船(からふね)見え来たり候、誠もって小事(しょうじ)の儀に御座候処、漢土(もろこし)まで相(あい)催(もよお)され候こと、城中の下々(しもじも)故に、日本の外聞(がいぶん)、然(しか)るべからず候。自国他国の取り沙汰(ざた)、是非(ぜひ)に及ばず候。此等(これら)の趣(おもむ)き、御陣中に披露(ひろう)預(あずか)かるべく候。恐誠謹言。
 寛永十五年             城内
 御上使衆御中/摠(そう)御陣中御申上

矢文3「正月」付、城中「天野四郎」より「松平伊豆守様」宛て矢文
 尊墨(そんぼく)畏(かしこ)み頂戴(ちょうだい)仕(つかまつ)り候。今度、楯籠(たてこも)り候意趣(いしゅ)は、天下への恨み、旁(かたわら)への恨み、別条(べつじょう)御座なく候。近年、長門守殿の内検(ないけん)の地詰(ちづめ)存外(ぞんがい)の上、剰(あまつさ)え高免(こうめん)仰せ付けられ、四、五ケ年の間、牛馬、妻子を究状せしめ、他を恨み、身を恨み、落涙(らくるい)袖を湿(ぬ)らし、納所(なっしょ)仕ると雖(いえど)も、早や勘定の切れ果つ。無疵(むきず)にて死に去る身の依(上?)の成れ果て、他国へ仕るに及ばず、責(せめ)て長門守殿へ一通の恨み申し畢(おわんぬ)。代々(よよ)此等(これら)の趣(おもむき)をはなれ候て、妻子の縁を切り、十月上旬以来、寒天(かんてん)の雪霜(せっそう)を凌(しの)ぎ、身の襖(ふすま)百重(ひゃくえ)、萬頭(まんとう)に藤烏帽子(ふじえぼし)を戴き、、焼野の蕨手(わらびで)出(いだ)す風情、是より罷(まか)り出(い)で申し候覚悟、更に之(これ)なく候。寔(まこと)に彼は多勢(たぜい)、此は無勢(むぜい)、虻蚊(ぼうぶん)群(むらが)りて雷電(らいでん)を成す如く、蟷螂蠡(とうろうれい)龍車(ぎっしゃ)を覆(くつがえ)すに似たり。是は昔の縦(たとい=喩え)也。地主(ちしゅ)の桜、盛りの頃、天地(てんち)霞花(かか)散乱し、邯鄲(かんたん)露生(ろせい)が夢の如し。五十年の栄花(えいが)も、一日の槿花(きんか)同前(どうぜん)と為すべし。来世(らいせ)の焔魔(えんま)の帳(とばり)を踏み破り、修羅道(しゅらどう)も踊り出(い)で、皆、極楽(ごくらく)に安(やす)く参るべき事、何(いずれ)の疑い、之(これ)有るべき哉(かな)。片時も今生(こんじょう)の暇(いとま)希(ねが)う計(ばかり)に候。謹言。
 正月          天野四郎
 松平伊豆守様

 ※…この部分の原文は「妻子令文状」となっている。意味が通じないので、筆記原文参照の上、「文」を「究」と判断し、「妻子、究状(窮状)せしむ」、と解した。文責筆者。(つづく)
萩毛利藩使者が記録した「今度」ではじまる矢文

 

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