2017年12月24日日曜日

矢文にみる島原の乱―その②―

 ■乱研究の史料の問題
 島原の乱を研究する上で、基礎資料をどこに求めるかによって結果が異なってくる。大別すると、二種類ある。一つは、この事件を征圧した幕府軍側の史料。他の一つは、籠城キリシタン側の史料である。
 従来の研究は、量的にも種類的にも圧倒的に多い幕府軍側の史料が用いられてきた。この中には、事件―島原陣に直接参加した兵士の従軍日記や役人らの報告書等と、これらを一次史料として時間をおいて編纂された幕府および参加各藩の公的記録があるが、前提の構図が農民一揆の鎮圧であり、したがって、そのほとんどが戦功・手柄を主眼に記されたものとなっている。
 他に、藩政時代に好まれた「軍記物」の題材としてこの事件を扱ったもの、歴史学者によってある意図をもって書かれた資料もある。いずれも幕府軍側の記録史料が用いられているので、その範囲を越えることはない。

 一方、事件の当事者―幕府側から見れば犯人―である「立上り」籠城キリシタンの史料は、在るにはあるが極めて少ない。たとえば、立上りの行動を呼び掛けた「寿庵の廻文」、籠城時に幕府軍と交わした「矢文」、「披き(開き)の条々」、熊本細川藩の兵士が原城に潜入して収拾したと思われる「四郎法度書」。時代はすこし遡るがイエズス会宣教師「コウロス神父の徴収文書」、ドミニコ会宣教師コリャードが集めた「切支丹証言文書」などである。
 これらは、キリシタン用語が多用され、キリシタン信仰の死生観、価値観などが述べられているので、一般には分かりにくい。研究者の中には、たとえば一揆説を説明するため「(領主松倉)長門殿に恨みの在りや」など、矢文の一部分を抽出して解説したものもあるが、その全文を取り上げて解読されることは少ない。

 事件の真相は、これを起こした当事者と、これに係わった―または調査・鎮圧した側の両者のうち、犯人である当事者が握っている。したがって、島原の乱を解く鍵は、後者の籠城「立上り」キリシタン側の文書の中に隠されている、と見ていい。―これが本稿で「矢文」を取り上げる主旨である。(つづく)
熊本細川藩が収拾した籠城キリシタン文書「四郎法度書」(「永青文庫」所蔵)

 

0 件のコメント:

コメントを投稿