2018年6月20日水曜日

欧文史料で読み解く豊後宇目の「るいさ」―付記①―

■「夫イチノカミ」にかんしイエズス会と相違するドミニコ会文書の記述について
 宣教師の記録史料をもとに、「るいさ」の正体を考証してきた。使用した主な欧文史料は3点、一つはドミニコ会、他の二つはイエズス会に所属するものである。
 その内容をみると、共通点が多い一方で、一部相違する点がある。イエズス会文書では、ルイサと「夫イチノカミドノ」がともに熱烈なキリシタンであり、協力して宣教師を匿う任務を遂行しているのに対し、ドミニコ会の文書に登場する「夫」は、宣教師を歓迎してはいるものの「偶像崇拝者」である、としている点である。
 誰もが疑問に思うにちがいないこの問題を解く前に、もう一つ、指摘しておかねばならないことがある。不自然な点がいくつかあることだ。
 オルファネールはルイサを頼りにわざわざ「回り道」して訪ねことであったのに、肝心の「ルイサは不在であった」ことが一つ。宣教師を匿い、お世話することに命を賭けていたルイサであれば、いかなる用件より宣教師を迎えることを優先したであろうに、その代わりに―と言っては失礼だが―「異教徒の夫」が現れて、異常と思えるほど「暖かく迎え容れ」ている、―これがもう一つの不自然さである。何か様子がおかしい、と言わざるを得ない。

 これらの疑問を解くには、イエズス会と托鉢修道会(フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチニ会など)との間に繰り広げられた門派間の対立・抗争に触れなければならない。
 キリシタン墓碑のところで述べたように、イエズス会は日本での宣教権を独占する立場を主張し、スペインを母国にして西廻り航路で日本に辿り着いた修道会を、ことあるごとに排撃した。もちろん、これらの事実は排斥した側の文書には出て来ないので、排斥された側の文書を見なければ分からない。
 その実態は、たとえばドミニコ会のジュアン(ファン)・デ・ルエダ神父による「日本において起こった特有なかつ内部からの迫害に関する報告書」(註1)でもその一端を知ることができるが、時には脅迫を伴うような深刻なものであった。こうした対立抗争は、肥前国の長崎、島原で顕著に見られるが、他の地域でも同様であった。豊後国を訪れたドミニコ会の宣教師オルファネールを、イエズス会は歓迎しなかったということである。
 この直後、幕府による禁教令・追放令発布があり、臼杵のアウグスチノ会修道院にいたオルファネールと同会宣教師二人が長崎に向けて発った。その際、イエズス会宣教師も同道したので、ルイサがこの神父を匿っていたことは事実である。
 もとよりルイサはイエズス会神父とともにあり、同会に所属する信者であった。ナバロ神父がルイサとともにあり、その近く(の洞窟)に潜伏していたとすれば、―そして、イエズス会が托鉢修道会を如何に排撃したかを知れば、どうしてあのようなことになったか、理解されるであろう。敢えて言えば、「ルイサが不在であった」というのは、隠れているイエズス会の神父がそのようにした、ということである(註2)。

 また、「異教徒」である夫がオルファネールを異常なほど歓迎した、という記述も、これをそのまま受けとめることはできない。イエズス会が隠れの信者を守るため仕組んだ秘密の組織であれば、その状況を他の修道会に明かすことはなかったであろうし、とくにルイサにかんしては、夫のことを含めて秘匿すべきことがらであった。ゆえに、オルファネールが「夫」として書き留めたこの「異教徒」なる人物は、別人を指している可能性がある。
 参考として上げるなら、毛利高政の「父親・高次」である。イエズス会記録には、高政は「己が父親を都の地から呼び寄せた。この父親は郷土の神々である神と仏を驚くばかりに信仰し…」とある(註3)。
 もう一つ考えられる理由は、夫毛利高政が異教徒を装ったことである。

 いずれにしても、ルイサの「夫イチノカミドノ」佐伯藩主・毛利伊勢守高政のことを、排斥の対象である托鉢修道会宣教師に話すことはなかったであろう。日本人には分かりにくいが、イエズス会と托鉢修道会との関係は、実際、それほどまでに複雑であった。(つづく)


 【註1】…『17世紀の日本における歩くドミニコ会宣教師ファン・デ・ロス・アンヘレス・ルエダ神父伝記、書簡、調査書、報告書』(1994・聖ドミニコ修道会発行)240-310頁。
 【註2】…イエズス会史料を中心に進められてきた従来の日本キリシタン史研究は、この面の検証はいまだ不十分であると言わざるを得ない。たとえば、イエズス会がドミニコ会の進出を激しく拒んだ島原では、イエズス会神父が信者に対し、ドミニコ会神父に宿を貸してはならない、秘蹟を受けてはならない。もしこれを守らないなら「科(とが)を御ゆるしあるまじき」(あなたの罪はゆるされない)などと脅迫した(コリャード徴収文書)。拙稿「三會村のロザリオ信心」(島原新聞2011年11月2日~11月30日連載)参照。
 【註3】…イエズス会「1586年度年報」―『十六・七世紀イエズス会日本報告集』第Ⅰ期第2巻(1987・同朋社出版)143頁。
 

 
 

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