2019年2月21日木曜日

キリシタン墓碑は変遷した―編年史試論―②

二、キリシタン墓碑の統計分析
 日本キリシタン時代のキリシタン墓碑は当初、塔形立碑の時代があり、途中(慶長年間半ば)からポルトガル様式の伏碑が出現する(註1)。この大きな変化がいかなる理由によって生じたのか、あるいは何故、はじめから伏碑ではなかったのか、―それら基本的な問題を解くために、先ず、年紀が刻まれたキリシタン墓碑を抽出して、時代や分布の変化等を分析してみたい。

 ●紀年銘キリシタン墓碑一覧
 『日本キリシタン墓碑総覧』に、統計資料の一つとして「紀年銘・銘文一覧」表が掲げてある(同書341~343頁)。これによると年号が刻まれたものは計40基存在する。初出は1581年(天正9)で、最後は1622年(元和8)。禁教時代(1614年以降)に入ると自然、姿を消していくことになる。以下、同一覧表と、これをもとに図式化した統計表を掲げる。
『日本キリシタン墓碑総覧』掲載の統計資料「紀年銘・銘文一覧」から不要な項目を省略して作製した「紀年銘キリシタン墓碑一覧」表

全ての紀年銘墓碑を伏碑(上段)と立碑(下段)に分け、年代順に並べた変遷図(宮本作成)
(つづく)

1…伏碑がポルトガル由来のものであることは、片岡弥吉氏が明らかにされた。「キリシタン墓碑の源流と型式分類―片岡弥吉」(1976年吉川弘文館発行『キリシタン研究第十六輯』115~140頁)。「キリシタン墓碑―片岡弥吉」(1979年小学館発行『探訪大航海時代の日本7南蛮文化』127~140頁)

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