2019年1月11日金曜日

臼杵市諏訪の「姫君霊」石祠のこと④

 ■かくれキリシタンの神像

 複数の人名が記された神銘板の謎を解く前に、同石祠の神像として収められてある石造物についてふれたい。
「姫君霊」の神像
人物像でありながら、造形が全体的に平面的で稚拙、丸い顔をして、肩から両肘―中央で合わせた手の形がW形(またはω形)をなし、天使の翼のようにも見える。この種の石造物は、九州地方ではあまり知られていないが、山口県の山間地域に多く分布するものである。前面に四角や三角形の窓が開けられた石の祠に収められ、人家の裏山など人が近づき難い場所にあり、その多くが禁忌的伝承を伴うことから隠れキリシタン墓碑の一種とされている(註)。
 諏訪の石祠に収められているものは、顔と胴、小さな足まであり、その姿格好からしてふくよかな和服を身につけた幼児―すなわち銘板にある「𣳾政公乃姫君」その人であると思われる。(つづく)

 ※…これを科学的に証明するのは困難であるが、筆者は現地調査をおこない、分布や伝承、遺物造形の特徴等を統計的に考察し、キリシタン関連の遺物遺構であると判断した。その主な理由は、津和野永明寺の裏山にあるそれと初代藩主坂崎出羽守直盛(キリシタン浮田左京亮)墓碑との相関関係。阿武郡紫福字市の原家墓地のそれと復活キリシタン原家との因果関係。数は少ないが乳房を持つ神像があり、これは女性や子どもの人権を一般男子と同様に認めた彼らのキリシタン信仰に基づくものであると考えられること。キリシタン三輪家と係わりがあると考えられる尼子家(※これについては調査中)墓地の一つー萩市奈古の尼子義久墓地に三基の同石造物・祠があること、等々である。

山口県山間地域に頻布する隠れキリシタン関連遺物「神像と祠」





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