2015年3月29日日曜日

花クルスと桜の花と

東西のこころが融合したキリシタン墓碑の花十字

 島原半島に集中的に分布するポルトガル様式伏碑)型キリシタン墓碑に、「花十字」の装飾をよく見掛ける。その形は、整った正方形または正円形をして美しい。キリシタン研究家はそれらを写真もしくは拓本にとり、ときには集計して系統的分析などして紹介しているが、意味について説明することは少ないようだ。キリスト教と言えば十字架、敢えて言うまでもない、といった暗黙の了解があってのことと思われる。たとえ説明があったにしても、それはキリスト教図像学からの引用―すなわち西欧で解釈されるそれに留まっている。

 日本人のキリシタンが戦国時代・武家社会の中に発芽し育成されたのであれば、日本人の心を土台として、その上に接ぎ木されたキリシタン信仰であったにちがいない。武士が戦場で死ぬことを「散る」と言う。花に掛けた言葉である。クリスチャンたちは、悪が支配するこの世にあって「戦士」(または騎士)に喩えられる。日本のキリシタンも同様である。彼らの死もまた「花が散る」ことであった。日本人の生き方として価値づけられるものであった。
 筆者はそのような目でキリシタン墓碑に刻まれている「花クルス」を眺めることがある。
 
 …そうであれば、キリシタン墓碑に刻まれた「花十字」にも、二つの意味が重ねられていることになる。一つは、西欧キリスト教由来の「死に対する勝利者キリストの象徴、贖罪の象徴」(『新カトリック事典第三巻』)としての「十字架」。他のひとつは「散る花を愛でる」日本人のこころ、武士道のこころを象徴する「花十字」である。… 
 ―拙著『ドン・ジョアン有馬晴信』(2013・海鳥社)に記した一節である。

【写真=島原半島のキリシタン墓碑花十字(拓本)】

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