2019年10月8日火曜日

キリシタン加賀山一族関系図

 豊後国(大分県)南郡(なんぐん)に組織されたイエズス会の地下教会「コングレガチオ・マリアナ、Congregatio Mariana, Sodalitas B.M.V」の女性リーダー「(加賀山)るいさ」は、徳川幕府がキリスト教を禁止して5年目の「寛永五年正月廿二日」(西暦1619年2月26日)に亡くなった。同国および日向国(宮崎県)のキリシタンらを長年司牧した宣教師ペテロ・パウロ・ナヴァロが時を同じくして同地を脱出し、肥前国(長崎県)高来(たかく=島原半島)地方に避難したのは、「るいさ」の死去と関係があったものと考えられる。コングレガチオ会員に課せられる第一の任務は、宣教師を匿(かくま)うことであり、「るいさ」はイエズス会の記録によると夫「イチノカミドノ」とともに宣教師を匿ったとされているからである。
 この件にかんしては既に、稿「欧文史料で読み解く豊後宇目のるいさ」(本ブログ掲載)で言及したので参照されたい。このたびは、「るいさ」の出自である「加賀山」一族のキリシタン―とくに彼女の兄弟である「ディエゴ加賀山隼人」(註1)とその「従兄弟・バルタザール加賀山半左衛門」らの系図的関係を追及してみたい。
 
 キリシタン加賀山一族にかんする記録は、イエズス会による「日本年報」のうち、1614年度、1615・16年度、1618年度、1620年度(いずれも『十六・七世紀イエズス会日本報告集』全15巻・同朋社刊掲載)、ドミニコ会の『福者ハシント・オルファネールOP書簡・報告』、レオン・パジェスの『日本切支丹宗門史』(中巻)などに出ている。これらを精査し整理したのが、次の「加賀山隼人一族関系図」である。
キリシタン加賀山一族関系図(宮本作図)


 ディエゴ加賀山隼人とバルタザール加賀山半左衛門の関係について、イエズス会は史料「1620年10月1日付、マカオ発信、ガスパル・ルイスのイエズス会総長宛、1619年度日本年報」で「従兄弟(いとこ)」と記している。これに関しドミニコ修道会側は、オルファネール神父が「ディエゴ加賀山隼人の妻の兄弟」(註2)であると明記し、また、ホセ・デ・サン・ハシント・サルバネス神父は、ドン・ディエゴ加賀山隼人の「義理の兄弟ドン・バルタザール〔加賀山半左衛門〕」と系図的位置関係を正確に記している(註3)。ドミニコ修道会が記録するとおり、正しくは「ディエゴ隼人の妻の兄弟」すなわち「義理の兄弟」であろう。
 また、加賀山隼人の洗礼名についてイエズス会は、ある年報では「ジャコウベ」、他のそれでは「ディエゴ」と記している。「ディエゴ」は「ヤコブ(ジャコウベ)」のスペイン語異形表記であるので、同一人物である。
 ディエゴ隼人の三人の子女は、「アロイジア」、「ルシア」、「アンナ」である。それは、「1620年10月1日付、マカオ発信、ガスパル・ルイスのイエズス会総長宛、1619年度日本年報」に「(ディエゴ加賀山隼人の)三人の子供の中の娘―すなわち次女―ルシアがいた」とあり、また「1621年10月付、ヨハネス・バプティスタ・ボネッリのイエズス会総長宛、1620年度日本年報」に「長女アロイジア(夫は小笠原玄也)、まだ10歳にも満たぬアンナと称する妹」とあることから確認される。
 ところが、2007年にカトリック中央協議会が発行した『ペトロ岐部と一八七殉教者』(日本カトリック司教協議会列聖烈福特別委員会編)には、次女「ルシア」が「次女ルイサ」(同書31頁)と(誤)記されている。
 イエズス会の記録史料を見るかぎり、加賀山一族のなかで「ルイサ」の洗礼名を持つ人物は、「1615・16年度日本年報」に出てくる「加賀山ディエゴ隼人の姉妹ルイザ」だけである。
 
 ※註1…「加賀山隼人」の正式名称は「加賀山隼人正(はやとのかみ)興良」(はじめ「源八久良」のち「庄右衛門または庄左衛門」)である。「隼人佐(はやとのすけ)」とするのもある。
 ※註2…「豊前国においてはドン・ディエゴ・ハイト(加賀山隼人)という身分の高い武士が殺されました。…豊後国においても彼の妻の兄弟ドン・バルタザール(加賀山半左衛門)が4歳の息子ヤコベとともに斬首されました。」(1983年・キリシタン文化研究会刊『福者ハシント・オルファネールOP書簡・報告』167頁)。
 ※註3…『福者ホセ・デ・サン・ハシント・サルバネスOP書簡・報告』(1976・キリシタン文化研究会発行)63頁。

0 件のコメント:

コメントを投稿