2019年4月4日木曜日

フランシスコ大友宗麟の「花の歌」

 日本の戦国時代末から近世初頭にかけて、キリシタン世紀と称される一時代があり、複数の大名や武将、一般庶民多数がキリシタン信者になった。彼らのキリシタン信仰は、日本の歴史に育まれた日本人の精神風土に播かれて醸成されたものであり、喩えて言えば〃花に十字架を重ねたもの〃であった。日本人が「花」と言う場合、それは「桜(の花)」を指す。
 キリシタン世紀は終局のところ、時の権力者による排斥・迫害・弾圧で幕を閉じることになるが、キリストを信じて散る(死ぬ)キリシタンたちの多くが、美しく散る桜の花に自身の生き様を仮託(かたく)して、花の歌を詠み、祈りのことばに添えた。
 ◆散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なれ人は人なれ(細川ガラシヤ)
 ◆限りあれば吹かねど花は散るものを 心みじかき山嵐(レオン蒲生氏郷)
 ◆地主の桜の盛りの頃、方々の御手に懸り朝の露と消ゆる身…(島原の乱殉教キリシタン矢文)
 ◆この春は桜花かや散るじやナ、また来るとき蕾開くる花であるぞやな…(生月かくれキリシタンのオラショ)

 最近、筆者は大分県臼杵市在住の桑原英治氏を通じて、ドン・フランシスコ大友宗麟(1530―1587)が詠んだ花の歌を知った。それは連歌の発句(ほっく)または附句(つけく)としてうたわれたもので、すでにキリシタンとなった天正のころ、臼杵の丹生島城時代の作品であるらしい。史料は『大友興廃記・巻第四』に収録されている。その中から三句ほど、筆者の意訳を付して紹介してみたい。

 ◆なにか世にちらぬとちるや春のはな
 (意訳)…人の世に何か散らないものがあるでしょうか。春に咲く桜の花がそうですね。あんなに美しく咲いて、春をうたってみても必ず散って逝くのですから。人の世は、なんとも無常なものです。
 ◆花に風 身はならはしの春もなし
 (意訳)…春が来て、桜の花がこれ見よがしと咲いているのに、こんなに風が強く吹いては花見もできないですね。我が身も逆境・試練ばかりで、春の来ない人生になりました。所詮、桜に実は成らないのですから、それでも美しく咲く花のように生きたいものです。
 ◆明けてこそ野原とはしれかり枕 たのむ夕(ゆうべ)はたゞ花のかげ
 (意訳)…旅に出て、闇夜に道が分からなくなりましたので野宿したのですが、朝になり目が覚めてみると、そこが原野であるとわかりました。それで心許なく思いましたが、折しも桜の花が咲いていましたので、木陰に近寄り眺めておりました。荒野にあってもこのように美しく咲き、美しく散っていく花に心を動かされ、まだ生きねば、と奮い立たされたものでした。

 天正6年(1578)キリシタンになった宗麟は、同年秋の耳川の戦をきっかけに敗戦がつづき、亡くなる天正15年(1587)まで幾多の試練に見舞われた。キリシタン信仰を理解しない家臣らは、宗麟を見限って謀叛し、ために大友王国は次第に傾いて破壊を余儀なくされたが、宣教師たちは彼のキリシタン信仰はそれでも揺るがなかった、と証言している(註)。
 〃花に十字架を重ねた〃キリシタン大友宗麟の往時の心境の一端を、これらの歌によってうかがうことができよう。


 ※…イエズス会宣教師フランシスコ・カブラル師は、「1581年9月15日付、イエズス会総長宛書簡」で次のように証言している。「(彼が被った)いっさいの損失、労苦、迫害によって、誰もがこの騒乱の原因は彼がキリシタンになったこと以外にないと言い、同国の貴人一同がこの件について彼に進言し、彼を殺そうとするまでに至ったが、彼は常に信仰を強くしたので、冷淡になるどころか、すべて(の騒乱)を自らの罪に帰する善良なキリシタンであり、たびたび告白をおこなった。」

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