2017年12月19日火曜日

宗麟の娘ジュスタとマグダレナ清田のこと

 フランシスコ大友宗麟の長女ジュスタが前夫・一条兼定と離縁し、清田鎮忠に再嫁したのは1575年(天正3)頃のことである。3年後の1578年(天正6)、父・宗麟の受洗に伴って夫鎮忠は洗礼を受けた。夫人ジュスタは母イザベルの執拗な妨害があり、遅れて1580年(天正8)に受洗した。
 鎮忠・ジュスタ夫妻は豊後で約10年間、キリシタンとして暮らし、領民の改宗に努めたが、1587年(天正15)島津氏の豊後国攻撃のとき、国を追われ、長崎に向かった。
 病身であった鎮忠は同年(天正15,1587)「11月23日」(西暦1587年12月22日)長崎にて病没した。法名・玄麟(「柳川清田家・清田正登作成の系図」)。
 一方、夫人ジュスタはその後40年、長崎で過ごし、「寛永4年8月7日」、同じく豊後出身で淵村の里正となっていた志賀氏に看取られ「病没」した(「志賀家事歴」)。ジュスタの没年月日は、志賀家の資料―「志賀家系図」、文政12年建立の「天女廟碑」、明治33年築造の桑姫祠―で確認することができる。
 
 ところで、清田氏関連の諸著述には、鎮忠夫人ジュスタは「病死」ではなく、「殉教(死)した」と紹介されているのが多々ある。先般、清田氏ご子孫の某氏からもその旨を知らされ、筆者は「ジュスタが殉教したとの記録は、イエズス会、ドミニコ会、フランシスコ会のいずれの史料にもない。それは何かの間違いでしょう。」と、これを否定した。
 追って、某氏からジュスタ殉教死の〃根拠となる資料〃が送られて来た。狩野照己・前田重治共著『大友の末葉・清田一族』38頁のコピーである。

 「…夫人(ジュスタ)は…捕らわれて寛永4年(1627)8月17日殉教した。」

 筆者はこれを見て唖然とし、また、合点した。「寛永4年(1627)8月17日に殉教」したのは、宗麟の娘ジュスタではなく「マグダレナ清田」である(註1)。清田氏研究者は「マグダレナ清田」の殉教日「(寛永4年)8月17日」と、ジュスタの病死日「(寛永4年)8月7日」とが、その数字の並びからしてきわめて似ているので、誤ってジュスタの死去日をマグダレナ清田の殉教日と混同してしまったようである。
 ちなみに、マグダレナ清田は殉教したとき58歳であった。換算すると、1569年(永禄12)の生まれとなる。宗麟の長女ジュスタはマグダレナ清田が生まれる以前、すでに結婚している(1564年?に一条兼定と結婚)。両者の年齢は母と娘ほどの差があり、まったくの別人であるのは明らかである(註2)。

ジュスタの墓碑
 参考まで、前掲書『大友の末葉・清田一族』によると、ジュスタの墓碑は元「(大分県)清田村民家の後ろ、銀杏大木を印」として在った。のち、「大分郡松岡村松岡山長興寺」に移され、追って石塔が建てられ、「清芳院殿月峯自圓大姉」と法号が刻まれた、という。これは、豊後に遺った大友氏の遺臣らがジュスタを偲び、供養のため建てたものであろうか。
 
 ジュスタが亡くなったのは、長崎である。その最期を看取った志賀氏は、当時キリシタン禁制の時代であり、キリシタンの墓碑を建てることが憚られたが、庄屋屋敷の一隅に自然石の小さな「塚」を建てた。明治期に移転を余儀なくされ、さらに昭和11年(1936)、淵神社境内に遷された。これがこんにち、同神社境内に鎮座するジュスタを祀るキリシタン神社「桑姫社」である。

 ※註1…洗礼名「マグダレナ」は、「マタレイナ」と記されることもある。
 ※註2…「マグダレナ清田」は清田家の誰の娘であるのか、筆者は先に、年齢から見てジュスタの連れ子―すなわち一条兼定との間の娘と想定した。清田鎮忠前妻の娘、鎮忠の兄弟の娘も考えられるが、レオン・パジェス著『日本切支丹宗門史』に「マグダレナ清田は豊後のドン・フランシスコ(大友宗麟)の子孫」とあるので、ジュスタの連れ子とみるのが妥当と思われる(2019/02/05追記)(註3)。
 ※註3…本ブログをご覧になった広島市在住の清田鎮忠・ジュスタ夫妻のご子孫から連絡があった。霊界から鎮忠が出て来られ、「マグダレナは義理の妹ではなく、わしの実の妹じゃ」、と言われたとのこと。清田惣領家伝来の系図「柳川関係史料」によると、鎮忠は1587年に58歳で亡くなっているので1529年の生まれ。一方、長崎で殉教したマグダレナ清田は1569年の生まれであるので、両者の年齢差が40年ある。他にひとり、清田一族の中に「マグダレナ」の洗礼名を持つ人がいる。1620年、小倉で殉教したシモン清田卜斎の妻である。イエズス会史料によると、シモン清田は鎮忠の「義兄弟」ロマン清田の弟であるので、その妻「マグダレナ」が「鎮忠の実の妹」であるかもしれない。
明治33年(1900)桑姫ジュスタの石祠に刻まれたジュスタの没年月日、「寛永四年八月七日没、私に諡(おくりな)して曰く、桑姫君と」、とある。

 
 
 

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