3万7千人の「立上り」キリシタンの指導者であり、司祭役でもあった天草四郎も、おそらくこの本を読んだものと思われる。同書第31「ちじょく(恥辱)となんぎ(難儀)にあふ時、へりくだるこころをもてかんにん(堪忍)すべき事」の章で、キリシタンの大切なこころとして示される「堪忍(かんにん)」と「謙(へりくだ)り」のことばが、「四郎法度書」で二度繰り返されるからである。
四郎は籠城中、朝に夕にミサを執り行ない、キリシタンたちの信仰が人間的・肉体的弱さゆえに疎かになるのを戒め、「かんにん」と「へりくだり」をもって「でうす(神)へ祈念」し、「御慈悲(=神のゆるし)を蒙る」よう勧めた。その内容は「四郎法度書」によってうかがうことができる。
『こんてむつすむんじ』によると、「かんにん」と「へりくだり」は「かんなん(艱難)」「なんぎ(難儀)」に対する大切な対処法であり、心がけであった。その理由について同書は、「うきよ(浮世)のさいなん(災難)は、なんじ(汝)がごしょうたすかり(後生扶かり=死後の救い)のため」になるからであり、それゆえに、できれば艱難・難儀の試練を「喜んで堪える」ことが好ましいが、それができないなら、せめて「かんにんをもって受け流すことだ」、と説いている。
注目したいのは、「災難は汝が後生の扶かりのため(にある)」という言葉である。同書には他にも、同様の趣旨で記された件(くだり)がある。
「我に仇(あだ)をなす者は…デウスの御手より与へ給ふ。こころよく受け奉り(なさい)」(同書巻第3第12)。「この世の苦しみを受くる事、我が身の誤ちによって与へ給ふ」(同書巻第3第19)、などである。
通常、艱難・難儀が特定の人物によってもたらされる場合、それを強いる相手「敵」に対しては反抗を試み、長期化して恨みを絡んだ場合は復讐にも至るであろう。
これに対し、キリスト教は逆の姿勢―「苦しみを受けるのは、我が身の誤ちによって神が与える」と、むしろアニマのたすかりのために必要なものとして受けとめ、自身の罪の償いに資することを教えているのだ。実際には、個々により信仰の差があり、人間的捉え方をする場合も多いが、これが『こんてむつすむんじ』が教える世界であり、キリスト教徒の取るべき基本的信仰姿勢であった。
「苦しみを受けるのは、我が身の誤ちによって神が与える。」―「転び」のキリシタンにとって、この言葉は身にしみるものであった。彼らは、罪を犯したゆえに今の苦しみがある、ということを知っていた。だからこそ「立上り」、償いをしてあの世に逝こうと思ったのだ。
この「きりしたんの作法」によって、島原の乱事件(1637―38)を再検証してみよう。
歴史の教科書をはじめ研究家、史家、小説家を問わず、島原の乱を語る人のほとんどが「為政者の圧政に対する反乱である」と主張して憚らなかった。そのような見解がはたして正しいか否か、些かでもキリシタンの心に近づくなら、その誤りに気付かされるであろう。
彼らは、ほとんど農民であったが、四郎の呼びかけ―かづさ村寿庵の廻文―に呼応して集った人々、すなわち「転び」から「立上った」キリシタンであった。そうであれば、「きりしたんの作法」に従ってこの事件を読み解かなければならない。すなわち為政者の過酷な税の取り立てや、自然の災いによってもたらされる「この世の苦しみ」は、「転び」という「我が身の過ち」が原因で「デウスによって与えられること」であるから、これを「こころよく受け奉り」、よく償いをして、キリストに帰り、「後生(あの世)の扶かり」に至るべきである、と―。これが、キリシタンの作法によって解読される島原の乱事件の解答である。恨みや反乱、一揆といった従来の解釈は、キリシタンのこころと作法を知らないがゆえの、一方的な誤解であった、と言わざるをえない。
1610年(慶長15年)キリシタン版として出版された「こんてむつすむんじ」 |
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