「あの世」からの通信は、次の通りである。
「いつまで隠れているのですか?
転びのままでは、アニマ(霊魂)の扶(たすか)りがないでしょう?
キリシタンを否定したから、隠れなければならなかったのです。
迫害を恐れたから転んだのです。
表面的にでもキリストを否定したのなら、イエスを裏切った弟子たちと同じでしょう?そのような行為は、キリシタンにとってモルタル罪―死に値する罪なのです。キリストを悲しませ、デウスを悲しませたのですから、罪になるのです。
いつまで隠れているのですか?
アニマ(霊魂)の救いを失ったまま、老いて、死んでいくのですか?
早く出て来なさい!
もう一度、キリシタンを表明しなさい!
立ち上がりなさい!」
―これは、3万7千人の「転びキリシタン」を立ち上がらせた天草四郎の叫びのこころであった。
文書記録で、四郎の筆になるものは確認されていないが、「丑(寛永14年)10月15日」(陰暦)付けの『かづさ村・寿庵の廻文』がそれに相当する。寿庵は「天人」すなわち天草四郎の「使者」であり、四郎に代わってこの「廻文」を書いた(『耶蘇天誅記』)。
=寿庵の廻文=
「態(わざ)と申し遣わし候。天人(=天草四郎)あまくだり成られ候て、ぜんちょ(=異教徒)どもは、デウス様より火のスイチョ(=審判)成られ候間、何ものなりとも、吉利支丹に成り候はば、ここもとへ早く御越(おこし)有るべく候。……
丑10月15日、かづさ村・寿庵」
【意訳】取り立てて申し上げます。伴天連の預言通り、「キリシタン宗門の司(つかさ=司祭)」として天草四郎様という御方がここにおられます。転びの者たち、異教徒たちはデウスの神が火の審判を成されますので、誰であってもよいから、キリシタンに立ち帰り、以前のように信仰を取り戻してアニマ(霊魂)の扶(たすか)りを得たいと思うなら、天人・天草四郎のもとに、早く来ていただきたい。…」
「後生の救い」を喪失し、すでに「悲嘆身に余り候」(=矢文の一節)状況にあった「転びキリシタン」たちは、この知らせを受けて「立ち上がる」。世に言う「島原の乱」である。
その行動は、「苛政に対する反乱」といった性格のものではなかった。彼ら自身のキリシタン信仰上の問題―「きりしたんの作法」―が動機となっていた。
「寿庵の廻文」の日付けにある陰暦「10月15日」は、十五夜であった。明るい月夜であったか、それとも暗雲たちこめる闇夜であったか、わからない。
月蝕(2014年10月8日) |
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