不思議なことに同日夜、宿泊先のホテルで、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が日本政府に対し「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録申請の推薦を取り下げ、推薦書を作り直すよう要請している旨のニュースを知った。驚きと同時に、内心「やはりそうか」と思った。考えられる理由はひとつ、普遍的価値のあぶり出しが不十分であったこと。―でなければ政治的理由として、シリア難民の世界拡散によるイスラム教との関連性もあり得る。
翌5日午前、福岡市総合図書館を訪れ、新聞コーナーに急いだ。イコモスが日本政府に改訂を求めているのは、「(教会群中心に記述された)現状の推薦書を書き直し、禁教期に焦点を当てるよう勧めている」(読売新聞)ことだ、と判明した(註)。
「禁教期に焦点を当てよ」と言うのは、具体的には「かくれ」時代のキリシタン信仰―禁教下で250年にわたり信仰を伝承し、幕末、再び司祭に出会って「復活」したことを指す。
長崎県が当初、この案件による世界遺産登録に取り組んだのは、そのような精神遺産ではなく、和洋折衷の独特の建築様式をもつ教会群であり、「かくれ」信仰は推進運動の過程で追加されたものであった。その成り行きからして「かくれ」信仰の究明に関しては、十分な研究と審議、対策が講じられたとは言えないであろう。
結論として私見を申し上げるなら、「かくれ」時代の日本キリシタン史の問題は、イエズス会とその関連史料を中心に取り組んできた従来の日本キリシタン史研究だけでは解明が困難である。長崎地方の「かくれ」の信仰は、イエズス会ではなく、1614年幕府の禁教令発布を前後して「転び」キリシタンの「立上げ」(再改宗)で精力的に尽力した托鉢修道会―とくにフランシスコ会、ドミニコ会の信仰とそのコフラディア(信心会)が色濃く反映されていたからだ。
現時点において、かくれキリシタンと托鉢修道会との関連を指摘し、解説した研究者・論文は、残念ながら少ない。出色なのは、冒頭で触れた岡美穂子先生である。私が固執して探してきた岡助教の論文は、その代表的なものであるから、長崎県はその関連図書を県内の図書館に配架すべきであろうに、お粗末すぎた。
今回のイコモスによる推薦書取り下げ・改訂勧告が、本県関係者の意識を覚醒させてくれるだろうか。「焼き直し」で済む、と考えるなら、この先も難航が予想される。
※註…長崎新聞(2月5日付)は次のように報道している。「(長崎)県によると、1月下旬に文化庁から『イコモスから届いた中間報告で、キリスト教の禁教と潜伏の時代に重点を置いて説明すべきと厳しく指摘されている』と連絡があった。現状ではイコモスが5月ごろに出す勧告の内容が『登録延期』になる見通しと説明を受けたという。」
福岡県立図書館で「キリスト教とナショナリズム」を閲覧した際の同館「所蔵レシート」 |
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